鋭利

色々。

ヴィクトルから見たユーリ!!! on ICE

 

「ユーリ!!! on ICEを見る」ここ最近で一番泣いた出来事である。
12話を見終わったあとの感想は「全員とハグしてキスして握手してありがとうって言いたい……」だった。
とにかく感動をありがとう……。

一通り泣いて、かみしめて、もう一回12話見て、もう一回泣いて、やっと落ち着いたときにふと思った。
フィギュアスケートの平均競技年齢って24~28歳くらい? だとしたら、27歳のヴィクトルすごくね?」
「てか、そんな27歳の貴重な一年をコーチに使ったって、実はすごい事なんじゃない?」

そんなわけで、「短い競技人生の中の、27歳という貴重な一年をコーチに費やしたヴィクトル」から見たユーリ!!! on ICE(以下YOI)について考えたことを書きたいと思う。
最初に言っとくが、これは考察じゃない。私が漠然と考えたことだし、当たってるとか当たってないとかは度外視した、ただの萌え語りに近いものなので、それでも良ければ見てほしい。
私はフィギュアスケートについてはど素人もいいところだし、全く詳しくないことと、ネタバレも大いにあることと、吐き出したいことを吐き出し続けたらものすごく長くなってしまったことを理解いただいた上で読んでほしい。

フィギュアスケートの平均競技年齢と27歳
羽生結弦(22)
ネイサン・チェン(17)
宇野昌磨(19)
パトリック・チャン(26)
ジェイソン・ブラウン(22)
2016年12月17日現在の男子シングル世界ランク上位5人の生年月日を調べて年齢を計算してみた。平均21.2歳。
誕生日を迎えていたりするので+1歳の誤差はあるとしても、若い……。
調べてみて思ったより若くてショックを受けている……。
私より年上3人しかいねぇ……。

ちなみに、最高齢金メダリストは1928年サンモリッツオリンピックでのギリス・グレーフストレーム(34)。
最高齢でも30代前半。いかに競技年齢が低いかわかる。

フィギュアスケートの平均引退年齢は、大体24~28歳くらいだと思う。
厳密に計算したわけではないが、多分そのくらいなんじゃないだろうか。
となると、ヴィクトルの27歳という年齢が、引退か否か、というギリギリの年齢であることがわかる。

実際、YOIでは最初からずっとヴィクトルの引退については話に上がっていたし、ヴィクトルは引退するのか? というのが一つのキーになっていた。

選手としてでなく、コーチとして27歳を過ごすということは、ただでさえ短い競技人生の中の、引退を考える1年を、自分ではない他者のために過ごすっていうことで、それってヤコフ曰く「自分が一番好き」なヴィクトルにとっては凄いことなんじゃないだろうか。
しかも、ヴィクトルの27歳は、世界選手権6連覇がかかってる。

そんな貴重な1年(厳密には8か月)を、他者のためにフィギュアスケートを見つめるために使うことができたのは凄いことだと思う。
ライフもラブもほったらかしにして、20年間自分のフィギュアスケートしか見つめてこなかったヴィクトルが、27歳という年齢で、おそらく初めて他者のためにフィギュアスケートを見つめて、他者のために与えられるものを模索できたのは、思ってるよりもすごく良いことだったんではないだろうか。

 

●勝生勇利から見たYOIと、ヴィクトルから見たYOI
さて、本題に入ろうと思う。
YOIは、ほとんどが主人公である勝生勇利視点で物語が語られていく。
勝生勇利は自尊感情が低くて、かつとても頑固な人間で、視聴者は偏った視点で展開される物語を見ていくことになる。

これは10話で初めてヴィクトル視点で語られたとき、おそらくほぼ全視聴者が、「マジかよ……!!」となったことにつながる。

いろんな漫画やアニメの中で、主人公視点の物語が正しいとされているものは少なくない。
だが、10話で、YOIの世界はそうではないことを示してくれた。
限りなく現実に近い世界なのだなぁと感心したのだが、つまり何が言いたいかというと、勝生勇利には勝生勇利のYOIがあり、そしてヴィクトルにはヴィクトルのYOIがある、ということだ。

勝生勇利にとってのYOIの物語は、「引退か続行かを悩むときに、憧れに憧れた生きる伝説、ヴィクトル・ニキフォロフが突然家に現れ、コーチになってもらい、GPFで金メダルを目指す」というまるで夢のような物語だ。

だがこれはあくまで勝生勇利視点であり、ヴィクトル・ニキフォロフ視点のYOIは全く違う。

私は、ヴィクトルにとってのYOIは、「もう一度純粋にフィギュアスケートを好きになるまでの物語」なのではないか、と思った。

ヴィクトルは世界を驚かせることをモットーにしているが、リビングレジェンドとなってしまった彼が何をしようと、最早世界は驚かない。

バンケットでのビーマイコーチがあったとはいえ、おそらくヴィクトルは、最初、世界を驚かせる一手段のために勇利のコーチをしようとしたのだろう。
そこには、「自分が何をしたところで世界はもう驚かない」という諦観もあったんじゃないかと思う。

だが、8か月間勇利のコーチをして、「世界を驚かせるため」ではなく、「純粋に自分が踊りたい」がためにフィギュアスケートをしたいと思えるようになったんじゃないかと思う。

それは、他者に教える喜びから出たものなのか、勇利やユーリが自分を追い越そうとしているために出た闘争心からなのかはわからないが、とにかく、もう一度純粋にフィギュアスケートを好きになれたんじゃないだろうか。

そう考えれば、現役選手兼コーチという、一見突拍子もないようなことに思えるヴィクトルの選択も、結構納得がいくような気がする。

コーチとして他人のためにフィギュアスケートについて考える一年によって、もう一度純粋に踊りたいという気持ちを得ることができたから、コーチをしつつ選手という選択なんじゃないだろうか。

また、ヴィクトルは勇利のコーチをしたことによって、「負ける覚悟」ができたんだと思う。

今までリビングレジェンドとして王者に君臨しづけてきたヴィクトルは、久しく敗北を知らない。

しかし、彼は勇利のコーチをしたことによって、勇利を勝たせたい、って思うことができて、それは、自分が負ける覚悟を決めれたんじゃないだろうか。

あと、これにはやっぱり2人のユーリがヴィクトルの記録を超えたことも関係すると思う。

総合得点としてはまだ超えられてないにしても、新しい世代が、もうすぐそこまで来てるっていうことをヴィクトルはGPFで確信して、やっと、「敗北」っていうものが久しぶりに身近に感じれたんじゃないかな、と思う。

ヴィクトルは、絶対的王者だった輝かしい記録を持ったまま、引退することもできたけれど、「負ける覚悟」ができたからこそ、ヴィクトルは選手に戻ったんじゃないかな。

久しく感じていなかった「敗北」の影を2人のユーリから感じたヴィクトルは、そういった意味でもスケートを始めた頃の純粋な気持ちを思い出して、おかげでもう一度、純粋にフィギュアスケートをしたいと思えるようになったんじゃないかな、と思う。

そして、ヴィクトルがもう一度フィギュアスケートを好きになるには、「勝生勇利のコーチをする」という方法以外では無理なような気がする。例え、2人のユーリがヴィクトルの記録に迫ったとしても、勇利のコーチをするということは必須項目だと思う。

それは、勇利がヴィクトルを唯一選手としてではなくコーチとして求めた人間だから。

ヴィクトルのコーチであるヤコフにはコーチをやることを止められ続けているし、ユーリはどちらかというと選手としてのヴィクトルに勝つことを求めているように思う。クリスだって早く復帰してくれ、と言っているし、ヴィクトルは選手としての自分以外に求められたことがなかった。

しかし、勝生勇利という選手ではないヴィクトルを求める人間に出会うことで、初めて自分のためでなく、他者のためにフィギュアスケートを見つめる機会ができた。

他者のためにフィギュアスケートを見つめて、他者のために与えられるものを探すことによって、彼はきっと、「世界を驚かせたい」だとか、「世界選手権6連覇のため」だとか、そういうことを抜きにして、純粋にフィギュアスケートをしたいと思えるようになったのではないだろうか。

だから、「勝生勇利に求められてコーチをして、GPFでの金メダルを目指す」というYOIは、ヴィクトルにとって、「もう一度純粋にフィギュアスケートを好きになる」物語なように思う。

きっと、ヴィクトルは自分のためにフィギュアスケートをしている限りずっと何かのために滑り続けていたんだろう。そしておそらく、何かのために踊ることに疲れた彼は、引退していただろう。

ヴィクトルは誰かのために選手ではない一歩離れた場所からフィギュアスケートを見つめる事でしか、自分のためにフィギュアスケートをすることができなくなってしまっていた。
勇利はヴィクトルを氷上に戻さなきゃ、と言っていたが、きっとヴィクトルは勇利のおかげでもう一度純粋にフィギュアスケートを好きになることができて、もう一度純粋にフィギュアスケートをしたいと思わせることができたのではないか、と私は思う。

 


ところで、YOIは勝生勇利とユーリだけではなく、ヴィクトル自身も成長する物語なんだ、とよく聞くけど、私はそれに違和感を覚えた。
で、私なりにその違和感を分析した結果、ヴィクトルは成長したんじゃなくて、「戻った」のではないか、と思った。

ヴィクトルだって元々、フィギュアスケートが好きで始めたのだろう。

フィギュアスケートが好きで選手になり、フィギュアスケートが好きだから沢山勝つことができたのだろう。
だがいつしか、「好き」が見えなくなって、戦歴や、外部からの目や評価のためにフィギュアスケートをするようになってしまったのではないだろうか。
そんなヴィクトルは、YOIの物語を通して、「フィギュアスケートが純粋に好きで滑っていた」頃に戻ることができた。
成長というよりは、こっちの言い方の方が合っている気がする。
反対に、勇利とユーリは氷の上で成長をした。
だから題名は、「ユーリオンアイス」なのかなぁ、と思ったり。