鋭利

色々。

『おやすみプンプン』という話


今日は、浅尾いにおの『おやすみプンプン』についての話。
何故今頃『おやすみプンプン』なのか、と言われれば、単純に部屋を片付けてて、ダンボールに眠った『おやすみプンプン』が出てきたからだ。
長いし本当に暇な人間以外読まない方がいい。

私が『おやすみプンプン』に出会ったのは、多分小学校5、6年。私が人生で一番しんどくて、一番何もかもが嫌だった時期。
所謂タカンナジキというやつだった。

昔から漫画が大好きで、とにかく漫画を沢山読んだ。
で、『おやすみプンプン』に出会った時は、それはそれは衝撃だった。

まぁ多分衝撃だった理由は読んでみてもらえれば分かる。今の私でも、色んな意味で衝撃だった。

で、今回話したいのは、最終巻のこと。
最終巻は確か、高校3年生の時に出た。
小学校5年という人生で一番しんどかった時期に読み始めた漫画が完結する頃には、私もそれなりに考えが大人になってた。

私が思うのは、『おやすみプンプン』では、誰も幸せにはなれなかったこと。だけど、不幸にもなっていないこと。
ちょっと語弊があるかもしれないが、多分プンプンも、愛子も、不幸ではなかった。

は?愛子は不幸でしょ、って思われる人がいるかもしれないが、そういう人はここからの話は私の一意見なので受け流して欲しい。

そして加えて言うと、私は漫画が好きだが考察をする人間ではないので、間違いやミスがあっても生暖かい目で見ていて欲しい。

まず、プンプンだが、彼は幸せでもなければ不幸でもない、のど真ん中にいる人間だと思う。
というか、せめて不幸にならないように自己防衛をしたのではないかと思う。
プンプンは最初から最後まで、幸せにはなれなかった。
多分、幸せになろうとしなかった。
もしかしたら、幸せになる方法がわからなかったのかもしれない。
不幸ではなかった、と思うのは、生きたからだ。そして、生きていく中で共にいる人がいたからだ。

彼は、南條幸に「起きろ」と言われている。
もう明日のことを考えずに寝れる。おやすみ。と思った時に、幸に起こされるのだ。
幸の我が儘で、起こされるのだ。

人に求められて生きるというのは、一般に幸せなことなんじゃないかと思う。
プンプンの場合(というかこの漫画のほとんどの場合)、親はその役割を担ってくれていない。
親というのは、一番自分を求めてくれる可能性がある存在だが、この漫画ではそうじゃない。

そんな中で、他人に、しかも恋人でもない人間に、生きろと、我が儘で求められるのは、幸せというか、生きる価値のようなものになるのではないだろうか。

だが、ここでプンプンは幸せだったとは言えないのは、勿論愛子が死んだからだ。
厳密に言えば、愛子と共にいれないからだ。
プンプンがもしあそこで死んでいて、もし死後の世界があったとしたら、愛子と共にいられたかもしれない。
プンプンは、小学校の時から愛子に縛られて生きてきた。約20年、自分を縛っていた存在が居なくなるというのは、自分の存在価値がなくなったと錯覚してしまうのではないだろうか。

おそらく、プンプンがあそこで一度死を選んだのは、愛子と共に居たかったこと、そして、最早自分に存在価値がなくなったからではないだろうか。
愛子がいなければ、自分の存在価値がなかったのではないだろうか。

そこで、幸の存在に戻る。
幸は、この時、プンプンに新たな存在価値を与えたのではないか。
小学生から今までの、愛子に縛られていたプンプンは死んだ。そして、新たに幸によって命を与えれた。
もしかしたら、プンプンにとって、幸に生きろと求められるのは迷惑なことだったのかもしれない。
だが、彼は幸の手を取った。

幸によって存在価値を得たプンプンは、しかし、愛子のことを忘れることはできなかった。
これが、彼が幸せではない理由のもう一つだ。

幸は、確かに存在価値を与えてくれた、生きることを求めてくれた人だが、愛子という存在とは違う。
愛子はプンプンにとって唯一無二の存在で、代替えなんてない存在だ。
そこで彼は、生きていくために愛子を夢の中の存在にする。そして夢の中で愛子に言うのだ。
「さよなら」と。その後、プンプンは夢から醒める。
その言葉はおそらく、プンプンを夢から目覚めさせる唯一の言葉だ。
愛子を夢の中の存在にする唯一の言葉だ。

プンプンは愛子という存在をあやふやなものにさせるために、愛子を夢の中に置いた。
プンプンは、死のうとした時、やっとゆっくり眠れる、と言っている。眠りは死の世界に繋がると考えている。
愛子を眠った末にある夢の中の存在にすることで、自分は生きていて、愛子は死んでいるという現実を、長い間をかけて、それこそ愛子の夢を見る度に、徐々に受け入れていくのではないだろうか。

縛りつけていたものがなくなったプンプンは、一度死に、そしてもう一度生まれた。
愛子という存在を夢の中の存在にしていくことでしか、前に進めない。

だが、それは一種の呪縛だ。愛子からの、新たな、そして強力な呪縛だ。
この先プンプンはきっと、結婚なんてすることもなく、恋愛すらもせず、子供だって作らない。
存在がなくったとしても、その呪縛は解けない。
縛る存在がなくなったのに、縛られ続けている。いつしか縛られている意味もわからなくなるくらい、長い間、プンプンが生きている間、それはずっと続く。それでも、意味がわからなくなっても、プンプンは縛り続ける。
意味もわからないまま、ずっと。

プンプンは幸せでも不幸でもない。
生きることを求められている、でも生きることには、存在しない愛子からの呪縛がある。
多分プンプンは、それを受け入れて、ただ生きて、いつしか誰からも自分の名を忘れられるように願い続けるのだろう。


さて、プンプンでえらく長くなったが、愛子が幸せでも不幸でもなかった理由だ。
が、これは本当に単純なもので、「プンプンを殺さなかったから」だ。

プンプンは、しきりに愛子に殺されたいと言っている。
だが愛子は、「嘘を付いたら殺す」という、条件付きの言葉を残している。

愛子がプンプンを殺したくなかったのは、もうプンプン以外に誰もいなかったからだ。
母は、愛子自身が殺した。
また、最後に母から向けられたものは、包丁だった。
母親に向けられた刃を、自分の手で母親に突き刺した。
愛子には、もう、プンプン以外に、だれもいなかった。

1人にしないで、という言葉からもわかる。
プンプンがいなくなれば、世界で愛子のことを気にかける人間が、いなくなる。
愛子はそれを恐れた。

自殺をしたのも、そういった気持ちがあるように思う。
先にも述べたが、自殺することによって、愛子はプンプンを縛り付けられる。
今後共に生きていったとして、プンプンが嘘を付いたら、愛子はプンプンを殺さなければならない。
プンプンが嘘をついたとしても、殺さなくていいように。プンプンが自分を忘れないように。
愛子は自分を頃殺した。

実際、プンプンが夢の中で、愛子に、もう君には殺されないこと、嘘をつくことを述べている。

愛子は、1人になるのが極端に怖かったのではないだろうか。
肉親を自分の手で殺し、プンプンしかいなくなった時、愛子にとっての最大の不幸は、プンプンがいなくなることなのではないだろうか。

愛子は自分が死ねば、それも、プンプンの目の前で死ねば、プンプンを殺さなくて済み、自分のことを忘れないと考えたのではないか。

これは、愛子にとって、不幸の回避ではないのか。
と、いうわけで私は、愛子は幸せではなかったが、不幸でもなかったと思うのだ。

愛子はプンプンの夢の中で、忘れられるような兆しが見えている。が、少なくとも愛子の死よって、プンプンはきっと一生縛られ続ける。
愛子の中では、それは、忘れられたとしても不幸ではないのでないかと思う。


まぁ長々と書いてきたが、私は、2人にとってこの終わり方が一番なのだろうな、と思う。
共依存は片方のバランスが崩れたら、その片方にもう片方が飲まれて終わる。
そんな終わり方は、互いに不幸でしかない。
きっと2人は遅かれ早かれ、幸せにはなれない。
永遠の呪縛の中生きていくこと、永遠の呪縛を与えて夢の中で存在すること、そしていずれ忘れられたとしても縛り続けること。
幸せでもなければ不幸でもない。
この2人は、こんな形でしか永遠を手に入れられなかったんだろう。

おやすみ、プンプン